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No.143(2018/9) 「観想西方浄土一五山」

 

No.143

 「釈尊は常に霊鷲山に在り」と言われたほど多く霊鷲山に在され、大無量寿経や観無量寿経、法華経など多くの経を講じられたところと伝えられています。霊鷲山は多宝山(ラトナギリ)の中腹の出っ張りのところに位置します。そこには香堂(釈尊の住された場所)趾とされるレンガの礎が残り、一日そこで観想し、写生をしていますと、次々と世界中からの仏教徒の団体がお参りに来て、読経が絶えません。いろんな節の読経が二重三重になってしまうこともあるくらいです。45年も前は地道で人もなく、野生動物の咆哮さえ聞こえたところでしたが、今は道も舗装され、乞食が並ぶ道と化しました。
 香堂趾(グリドゥラクタ)から西はラトナギリ他、五つの山が季節によって見えます。(この前の一月に行った時は、霧とガスで二山しか見えませんでした。京都五山とか鎌倉五山とか本山とかいう言葉の元は、この地にあります。それぞれ山の中の樹下に出家修行者が住していたことによります。)その五山の間に太陽が沈んでいきます。密教(ヒンドゥ教の混ざった仏教)では、大日如来を中心に東南西北の順に阿?、宝生、阿弥陀、不空成就の仏国土があるとされています。その中でも西方極楽浄土の教主阿弥陀への信仰が強くなったのは当然のことと思います。西に陽が沈んだ先はどのような世界なのかと尊敬と畏怖をもって阿弥陀浄土を観想したのではないかと思えます。
 日昇と日没時ほど太陽の変化(へんげ)と荘厳さを感じることはありません。陽が沈み、また翌日には同じ太陽が昇ると昔の人は考えなかったでしょう。陽が沈むと闇の世界となります。私達は闇となれば、何をすることもできない無明の世界となります。そのためには、心の目を開かねばなりません。私の持つ五感を研ぎ澄まし、自然から謙虚に学び、人類の歴史から学ぶ。この二つのことが私の現在の制作や生きる糧となる心境です。

畠中光享(1970年文学部卒)
日本画家・インド美術研究者

 

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