学生時代に、幾度も「インドへ行こう!」と誘われたが、勇気と経済力不足から断念してきた。社会人になって海外出張の回数を重ねても、インドへ行くというチャンスはそう訪れるものではない。この度、縁あって藤島建樹先生を団長とする、大谷大学同窓会海外研修「インド仏跡巡拝とヒマラヤ眺望の旅」に参加する幸運をいただいた。
今回の研修では、釈尊ゆかりのインド四大聖地、ルンビニ(生誕地)・ブダガヤ(成道の地)・サールナート(初転法輪の地)・クシナガラ(涅槃の地)という、オーソドックスな順路と近隣の仏跡を辿る。インド訪問は、既に何度目かという諸先輩方も多く、「昔はもっと道が悪くてね…」「思わぬアクシデントがつきものでね…」という回想が聞かれたが、近年整備されたという道路のおかげ(私にはバスの揺れ方が尋常でない)で、順調にスケジュールをこなすことができた。確かに、快適な航空機、チャーターされたバス、ホテルでの食事、清潔なベッドでの宿泊など、トイレの問題を除けば、観光旅行でも十分に成立すると思われる。しかし、インドへの旅は大谷大学の諸先輩方、そして仏教者にとっても特別の意味があることを忘れてはならない。求法の僧侶や研究者が幾度も挑戦し、困難を極めるものであったこと。かの玄奘のヒマラヤ山脈を越える天竺への旅が、いかに命がけであったかに遠く想いを馳せる。物見遊山を兼ねた出張旅行に慣れた私も、この度のインドでは漫然としていられない。想像力をあらん限り膨張させて、世界にまで拡げるのだ。
環境が許せば旅行中の情況を特設ブログで日々報告しようと考え、小さなコンピュータを持参していたが、「IT先進国インド」と「インド仏跡地」との間には、まだ少し距離があるようだ。それでも旅行中に2軒のホテルは無線LANによるインターネット接続ができて、少しの写真をアップロードすることができた。道路は整備され、旅客機は速く、CPUは高速化する。地の果てであった天竺は、もはや誰もが安全に行けるインドになっていく。こうしてグローバル化が加速し、世界が小さくなっていくことは誰にも止められない。驚いたことに仏教聖地はどこも、釈尊に帰依する世界各国の人々でにぎわっていた。赤い法衣、黄色い法衣、老いも若きも、僧侶も信者も、瞑想にふけり、経を唱え、熱心に五体投地を繰り返している。もちろん、私たちのツアーメンバーも、藤島団長や先輩方に導師になっていただき勤行をおこなう。2500年以上の時を経て、様々な国籍と人種の人々が聖地に集う。あらゆる言語と低い読経が聴こえる中、彼らは何かを想い、ひとりひとりの表情は安らぎに満ちている。ずいぶん遅くなったが自分も仏教を勉強しようと考えた。比較的静かなクシナガラの涅槃堂での勤行の後、インド新仏教の少年僧侶が付いてきた。浅学ながら英語で新仏教の情況について、二、三の質問を試みると、人なつっこい笑顔で答えてくれる。彼と握手をしてバスに乗り込む別れ際、少年僧侶に両手を合わす私がいた。 |