尋源館(旧名・本館)が建てられて今年が100周年ということを、3月半ばに校庭の桜を写生している時に知りました。花木の写生は花が咲く前に枝ぶりを描き、花が咲くとその上から花を描いていきます。前から博綜館の5階から見る尋源館の姿に魅せられていましたので、3月下旬に写生をしました。普段地上からしか見ていませんので、写生をしていますと見えないところが見えてきます。銅板づくりの装飾屋根の先が腐蝕して傾いている箇所があったり、南北の突き出した屋根の高さの違いなどいろいろな発見があります。写生をすることはそのものと対話することです。
また凝視することから相手のものから教えられます。このごろは画学生でも写生をしていません。頭だけの思いつきや、流行の真
似ではなく、五感を用い相手から学ぶことが必要と思います。このことは全ての学問に通じます。
屋根の上のシンボリックな高塔は本来鐘を設置するはずではなかったのかと思ってしまいます。でも実際は最初から鐘はなかったとのことです。鐘のない鐘楼はそれぞれの心の中でいつも打ち鳴らす発奮と警鐘の鐘のようです。
大学は時代と共に建物や人々も変化して来ました。新しい建物が建てられましても、やはり尋源館は大谷大学の象徴なのです。新しい建築も百年後には大学の顔になるものでなければなりません。ただ古いだけではなく、世に問う人物を輩出した重みのある歴史があるのです。「古いものにとらわれない、新しいものに惑わされない」という仏陀の言葉が大切です。建物も人も新しいものが国宝とならねばなりません。「花伝書」のように人はその年令、年令によって学ばなければならないことがあります。当然学生でなければ学べないこともあります。大谷大学は世界に誇れる仏教(生き方を学ぶ)の大学であって欲しいのです。有能な学生が仏教を基本として学び、その学生を啓蒙し、サポートする。そのような場であって欲しいと願うのです。尋源館で卒業までに一度は授業を受けることも、大谷大学の重みを知る上で必要だと思います。また卒業生が帰宅出来る場所があって欲しいと思うのは私だけでしょうか。
画面の右(北側)にはいつも変わらない常緑のヒマラヤ杉、左側には春の新芽の伸びゆく樹木を若人の思いで描きました。
畠中光享(1970年文学部卒)
日本画家・大谷大学非常勤講師