インドを旅していますと、人がいそうにないところで思いがけず人に会うことがあります。広大なコーサンピー(Kaushambi—釈尊時代の十六大国の一つ、ヴァッツア国の首都で、釈尊の信奉者ウダヤナ王〈優填王〉の統治していたところ。遺跡はヤムナー河に面し広大な煉瓦の城壁遺構やストゥーパがあり、柱頭はないがアショカ王柱も残存している。)の遺跡で山羊追いの少女がたった一人突然出てきました。笑顔の可愛い少年のように凛々しい子供でした。ちょっとそこに立っていてね、というと素描が終わる日暮れまでじっと実に自然に立ってくれました。付近に家は見えない。しかし家族の待つ家があり、それから帰宅するのでしょう。
今年に入って人生を三度生きたという小野田寛郎元陸軍少尉が91才で亡くなりました。フィリピン、ルバング島のジャングルで敗戦後も29年間独り戦った戦争犠牲者です。帰国して書いた本の印税でブラジルに渡り牧場を開き、その後日本に帰り「少年よ自然に帰れ」と自然塾を開設。その小野田さんの言葉が残っています。「死ぬのが嫌だから頑張って生きた。」孤独だったでしょうの問いに「人間の弱さ、独りの弱さが身に沁みた。精神的な自由をある程度は我慢しても、多くの人々と共に生きることが大事なんです」と答えていました。それは悲しい程の説得力がありました。親鸞聖人は、「一人いて喜ばば二人と思うべし、二人いて喜ばば三人と思うべし、その一人は親鸞なり」と申されています。現実的にも精神的にも一人では生きられないものです。インドではあなたの宗教は何ですかという問いをよく耳にします。もし無宗教だと答えれば、何と横柄で、小さな、自分よがりで、自然(神)に謙虚さのない傲慢な人間だと思われてしまいます。
現在になって、大谷大学の学生時代の人と再び知り合えることが少なからずあります。人との縁は縁を呼びます。若き日の夢や希望をなくすことなく、与えられた仕事に精一杯努力を続けてきたからだと思い、心と身体の続く限り努力するしかないと思っています。決して一人で生きているのではなく、仏さまや人々に願い願われて生きているのですから。
畠中光享(1970年文学部卒)
日本画家・大谷大学非常勤講師