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無盡燈ギャラリー・畠中光享の世界

No.130(2008/9) 「越後の親鸞」
No.130
 今夏も暑く、日本の夏は温暖化ではなく熱帯化している。時たまの雨はまさにスコールでこのような雨に慣れていない我国では人災をもたらしてしまう。日本の建物は夏の住居を基本としてつくられているが、流罪となった越後での親鸞聖人の、夏はともかく冬の生活の厳しさは想像に難くない。
 本地垂迹説で熊野御幸は上皇に義務づけられた重要な国事であった。上皇でさえも潔斎を通して国家安寧の祈願をしている時の「六時礼讃」による女官(又は寵愛の白拍子)の外泊は、後鳥羽上皇の逆鱗にふれるのは当然といえる。
 しかし全くのとばっちりで法然の弟子というだけで、親鸞は流罪として最も重い遠流として越後に配された。親鸞伝絵にはこう記されている。「大師聖人もし流刑に処せられたまわずは、われ配所に赴かんや。もし配所におもむかずば、何によりてか辺鄙の群類を化せん。これなお師教の恩致なり。」法然上人が流刑になられたからこそ、越後の人々に仏の教えを説く機会が自分にもおとずれたことに感謝し、配所へ赴こうという心境を示している。
 親鸞聖人が流罪となって八百年が過ぎた。私はその周辺をへめぐって越後での聖人のことを考える。具体的にどのようにして人々を教化されたのであろうか。還俗させられて自ら「愚禿善信」と名のった。禿は垂れ髪をいう。流刑地で頭髪を伸びるにまかせ肩のあたりで先だけを切りそろえた垂れ髪だったのだろうか。流罪を解かれて剃髪に戻られたという。日々の生活はどうされていたのであろうか。流罪二年目からの米、塩の配給のない生活の糧や恵信尼のこと、私の頭の中は聖人の一生を具体的に絵で表わそうとしてぐるぐると巡っている。
 居多浜に着岸し赤岩と呼ばれた岩場は宝暦年間の大地震で埋没して今は岩礁ひとつ見あたらない。
 寺泊の海岸の松は海からの烈風で地を這うように必死で片側へと伸びている。私はこの風景に越後の厳しさを見た。
畠中光享(1970年文学部卒)
日本画家・大谷大学非常勤講師
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