大谷大学は西洋暦2001年10月13日に近代化100周年を迎え、立派な響流館も完成した。
後年「尋源館」と命名された旧本館は京都での大学の歴史と共に歩んできた。東西に長かった赤レンガの建物は短くなってしまったが、大谷大学の象徴であることには変わりがない。
私の在学中の1960年代後半、尋源館には講義室もあったが、美術研究室もあった。もちろん、正面玄関は南側であったが、室町通からの門は閉ざされており、正面から入ること、見ることは稀であったので、普段行き来している北側から描いた。建物の南側と東側は松林で、秋には彼岸花が一斉に咲き、それはそれは美しい光景であった。日没後は、昼間の喧騒が嘘のように静寂となり、ガラス越しに見える照明の暖かな光は、学問の場の雰囲気を醸し出していた。内部のつくりは贅沢であった。玄関や階段の照明は美しい形のガラスの器具でつくられ、階段や机までも東本願寺両堂再建の折の欅でつくられていた。尋源館中央部分の尖塔は鐘楼のように見える。第一寮歌には「聞け暁の鐘は鳴る」、第三寮歌には「時に理想の鐘をつく」と歌われていたのだが、鐘が写った写真は見たことがない。以前は鐘があったということを聞き、やはり鐘があればよいと思うのは私だけであろうか。 |