今年は、27歳であった大谷光瑞が内陸アジア(チベット、パミール、西域)に第1次探検隊をだして100周年にあたる記念の年である。それは仏教東漸の道の調査であり、何よりも探したかったものは漢訳しか残存していない「観無量寿経」の梵本であったと考えられる。20世紀初頭でもチベットは前人未踏の地であった。河口慧海が日本人として初めてチベットに入ったのは1901年のことであるし、大谷派の僧侶である能海寛は1900年にチベット入域を試みたが失敗に終わっている。
ダライ・ラマ14世が中国によるチベット侵略により、1959年ヒマラヤを越えインドに亡命したことは映画「クンドゥン」でも紹介されている。私がダライ・ラマと最初に出会ったのは1975年8月亡命先のダラムサラであって、その人の魅力に引き込まれた。その後もダラムサラ、ブッダガヤ、ラダック、モンゴルそして日本と何度も会う機会があったが最初に会った時のさわやかな緊張感は変わらない。
今回の作品は1980年、友人と私で法話を依頼し実現した折りに写生し、半年後に描いた肖像画である。ある展覧会に出品し売却されて行方が知れなかったが、今年になってさる画商のところに出ていたものを縁があって買い戻した。
ダライ・ラマは「真実の宗教とは優しさ、生きている限り、学問していようといまいと、来世を信じようと信じまいと、仏陀を信じようと信じまいと、優しい人になること、そのためにはどんな仕事であろうと、プロフェッショナルとなるような仕事をすること、そうするうちに心の底からやさしい人になる」と言う。私はこの言葉をよりどころにして生きている。 |