仏教とは、自己の本質とは何かと、自己を考えて生きていくことと言える。
コーサラ国のパセーナディ王は妃のマッリカーにある日、この世の中で一番大切で愛しいものは何かと問うたところ、王の予想に反して、マッリカーは「私自身です」と答えて、少なからず衝撃を受けたという。そこで王は釈尊に同じ問いを発したという。同じように答えられたという。
いかなる方向に思いを馳せて見ても自分より愛しいものを見出すことはできない。同じように他人にとってもそれぞれの自分が愛しい。だからこそ自己を愛する人は他人を傷つけてはならない。他人を大事にすることは自分を愛すること。我が身に引き比べて、他人や生き物を殺してはならない。殺させてはならない。
エゴ性を認めて自他の関係を説かれているし、慈悲の原点であるように思う。
20世紀は戦争の世紀であったが、21世紀に入ってもアメリカはイラク攻撃を行おうとしている。そして、その戦争は宗教戦争という意味も持っているが、簡単に収まりそうにない。また我国はその暴力に加担しようとしている。一人ひとりの仏教的愛と智慧こそ人を傷つけることを防ぐことができるのではないかと考える。まさに現代、私達の一日一日ががけっぷちに立っている。いつも一歩踏み出し、とび出さねば、世界の人々を戦争という暴力から守ることはできない。今ほど釈尊の言葉が必要とされるときはないだろう。 |