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無盡燈ギャラリー・畠中光享の世界

No.127(2007/3) 「北嶺」
No.127
 京都市内どこからでも東北の空の下に見える比叡山は、最澄が日本の天台宗を開いた聖なるやまである。源信、法然、親鸞、道元、日蓮といった日本仏教の祖師たちも比叡山で学び比叡山から出ていった人々である。
 比叡山は季節や見る場所からもさまざまな表情を見せる。雪や霧、陽光によっても違った顔を見せる。大谷大学から見える比叡、工芸繊維大学の高野川から見える比叡。岩倉からはすぐ近くに迫って見える。
 思えば私達も学生時代、朝な夕な日々比叡山を仰ぎ見て過ごしてきた。山内の伽藍域は東塔、西塔、横川に分かれているが、東塔は根本中堂を中心に仏堂が集中している。親鸞聖人が寄宿した大乗院など無動寺の仏堂学舎は、東塔に属しているが、東塔伽藍があるところから2km南に下った琵琶湖を見下ろす所にある。聖人は20年間この山で修業されたが、寄宿された大乗院は慈円が行っていた仏教教学の道場であった。慈円は遮那(密教)部門の阿闍梨であったため、慈円のもとで得度し僧侶の道を歩み始めたことは密教を学ぶことを意味した。しかし密教になじめず、円仁の伝えた常行三昧で見仏する阿弥陀への信仰へと変わっていったように思われる。
 当時、比叡山の天台止観のなかには浄土教が混交していた、聖人は100日間の六角堂参籠を行なわれ、聖徳太子の化身といわれる救世観音から夢告を受けた。六角堂参籠には当時、都へのメインルートであった雲母坂の道を通われた。このルートの山は風化した花崗岩で雲母が多くとれる。修学院離宮の南側に音羽川が流れ、その上流より雲母坂に入るところは京都の街並みの見晴らしも良く、風光明媚なところである。今は車やケーブルで簡単に比叡山に登れるが、聖人や往時の人々をしのんで雲母坂を上がることも大切なように思う。
畠中光享(1970年文学部卒)
日本画家・大谷大学非常勤講師
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