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無盡燈ギャラリー・畠中光享の世界

No.133(2010/3) 「マザー・テレサ ― 雨の中を行く(部分)
No.133
 私が初めてインドに一年余り滞在した時の1975年は、何年かに一度来る猛暑の年で、陸路でネパールからインドに下ると、持っていた42度までの体温計は粉々になっていました。
 インド国境の町ラクソールから、遅々とした交通で釈尊ゆかりの地ヴァイシャリを巡った後、外輪船で一時間かかってガンジス河を渡り、パトナに着き、クルラハル(鶏足寺跡)などを訪れました。その後、カルカッタへの移動の途中、ヴィクラマシラーの発掘現場に外国人として初めて訪れ、まだまだ発掘されるであろうインド後期仏教の広大な遺跡に、汗と埃まみれでしたが凍りつくような感銘を受けました。その後カルカッタ(現コルコタ) の大都会に入りました。当時のカルカッタは、東パキスタンからバングラデシュに、パキスタンから分離独立した政情不安が残り、バングラデシュからの難民が百万人にも達しており、そのため毎日何十人もの餓死者を日常的に目にしました。
 現在でもそうですが、カルカッタはイギリス統治時代の建物が古びて残っている大都市で、最も汚れた町かも知れません。その町でマザー・テレサは68年間貧しい人々のために奉仕活動をしました。マザーは1910年ユーゴスラビアに生まれましたが18才でインドに渡り、1929年からカルカッタに住み、1950年には国籍をインドに移し、死を目前にした孤独な人のためにニルマル・ヒンダイ(清い心の家)や孤児の家やハンセン病診療所を開設し、最下層の人々に手を握り、やさしい言葉をかける生涯を通しました。1997年死亡してインドの国葬が行われます。私はニルマル・ヒンダイを訪れて一生この仕事を続ける勇気はないと思いました。マザーは来日した折の日本の感想を「豊かそうに見える日本で心の飢えはないでしょうか。だれからも必要とされず、だれからも愛されていない心の貧しさ、物質的な貧しさに比べて心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことです。豊かさの中で貧しさを忘れないで下さい」と語っています。人として、宗教者として大切なことと思います。
畠中光享(1970年文学部卒)
日本画家・大谷大学非常勤講師
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