大谷大学と私
No.144(2019年)
木村 宣彰
私は1962(昭和37)年4月に大谷大学文学部に入学した。この年の流行語は「人づくり」であった。1960(昭和35)年の暮れに成立した池田内閣は国民所得倍増計画を閣議決定し、高度経済成長を国家の政策として推進した。それに呼応して、経済界は直ちに世間で役立つ「人材」を求めていた。2年後に開催された東京オリンピックは日本の高度経済成長を象徴するものだった。ところが、大谷大学はこのような社会の動きとは一線を画していた。1962(昭和37)年度の入学宣誓式において曾我量深学長は、87歳の高齢であったが矍鑠として新入生に「本学は世間に役立たない人物を育てる」と告示された。そもそも大学は人格形成の学問の場であり、社会の「人材」を育てる前に「人物」の養成こそが大学の使命である。しかも個々人がどの大学で如何なる学問を修めるかの選択は自由でなくてはならない。ところが、政府は1979(昭和54)年に国公立大学の入試制度として「共通第一次学力試験」を、更に1990(平成2)年からは「大学入試センター試験」を採用し、これら制度の導入によって恣意的な大学の序列化が進み、大学の学問の伝統が蔑ろにされたようになったと思われる。幸いに私は政府による画一的な入学制度が実施される以前に大谷大学を志望して入学を許された。
現代の日本の大学制度は、教育・研究の両面で数多くの矛盾を孕んでいる。大学の学部教育が果たすべき本来の使命や役割は、リベラル・アーツを中心とした人格形成である。当然、大学の運営に関わる者は、それぞれの大学の歴史と伝統を熟考し、そのうえで自学が果たすべき役割に特段の留意を払わなくてはならないであろう。大学入試センター試験制度がもたらした最大の問題点は「一律」という点にある。大学にはそれぞれ歴史的な使命や伝統的な学風がある。学生はそれを自由に選び、各人が自主的に学問ができるようにしなくてはならないと思う。
私は自分が選んだ大谷大学に学び、多くのよき師・よき先輩・よき友に恵まれた。大谷大学におけるよき師友との出会いが無ければ今日の私はあり得ない。入学と同時に入寮した洗心学寮は人間学の学びの場であった。学寮で寮生として過ごし、後には寮監として数年を過ごしたことは実に得難い体験であった。
1961(昭和36)年には、山口益、舟橋一哉、横超慧日、安藤俊雄の四教授の編になる『仏教学序説』が公刊された。本書は近代仏教学の成果に基づいて「仏教とは何か」を解き明かした名著である。その編者である教授陣の謦咳に接したことは本当に有難いことであった。殊に恩師の横超慧日先生からは懇切な指導を忝くしたことは感謝に絶えない。
また、在学中に鈴木大拙先生の講義を拝聴できたことは忘れられない。鈴木大拙に同行された岡村美穂子さんとは、その折にある用事を通じて拝眉の機会を得た。詰襟の学生服で岡村さんを訪ねると、「何を勉強なさっているの?」と声をかけてくださった。半世紀を経た今、金沢市にある鈴木大拙館の岡村名誉館長の下で鈴木大拙に関わる仕事をさせていただいている。奇しき因縁という他ない。大谷大学から被った御恩は数限りない。
大谷大学は、仏教系大学としての矜持と建学の精神を堅持し、今現在とこれから大谷大学に学ぶ学生たちに常に希望を与える存在であり続けていただきたい。
■ 略 歴 紹 介
木村 宣彰(きむら せんしょう) 名誉教授
1943年11月 富山県に生まれる
1966年3月 大谷大学文学部卒業(仏教学)
1969年3月 大谷大学大学院修士課程修了(仏教学)
1973年3月 大谷大学大学院博士課程満期退学(仏教学)
1980年4月 大谷大学講師
1989年4月 大谷大学助教授
1992年10月〜1994年9月 大谷大学図書館長
1994年4月 大谷大学教授
1996年10月〜1998年3月 大谷大学図書館長
1998年4月〜2000年3月 大谷大学学監・文学部長
2004年4月〜2010年3月 大谷大学長兼大谷大学短期大学部学長
2010年4月 大谷大学名誉教授
2013年4月 金沢文化振興財団鈴木大拙館館長(現在に至る)
同窓会役員
1998年5月〜2000年5月 大谷大学同窓会常務理事
2002年5月〜2004年4月 大谷大学同窓会常務理事
2004年4月〜2010年3月 大谷大学同窓会顧問
【専 門】 仏教学
【著書・論文】
『中国仏教思想研究』(法蔵館)
『仏教思想の奔流 ─インドから中国・東南アジアへ─』(共著・自照社出版)
『注維摩経序説』(東本願寺出版部)
『浄土思想系譜全書 安楽集』上・下(四季社)
『五濁の時代に 念仏の導きを』上・中・下(北日本新聞社)
『安楽集講要』(東本願寺出版部) など