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現役教員からのお便り

No.144(2019年)

大谷大学に学んで今思うこと
大谷大学教授(仏教学) 織田 顕祐

 私は学生番号が732-20番だったから、1973(昭和48)年の仏教学科の入学である。不遜な気持ちで入学した私は、入学すると直ちに大谷大学の学風にこっぴどく頭を叩かれた。当時受けたショックは今でもはっきりと覚えているが、私がかつて触れたことのないもの、今思えばそれは「仏法」というものであった。そのショックの意味がわかりたくて、今日まで引き続き大谷大学で学ぶことになったのだと思う。

 学内にいるとそれほどでもないが、日本の学会で他の研究者と交流している時、さらに外国で仏教について意見交換をしている時などに、大谷大学の学風の特徴をはっきりと自覚することが多い。かいつまんで結論のみを言うなら、それは三代学長の佐々木月樵によって構想され、それを受けつぎさらに発展していかれた先輩たちによって構築された仏教・真宗学の方法論である。それは『樹立の精神』に明確に示されているが、入学当時の私にはなんのことかさっぱりわからなかった。それから数十年経って、佐々木が掲げた「ありのままの仏教経典そのものの本義に味到する」仏教学や、佐々木の盟友であった金子大榮が示した「親鸞聖人の学び方を学ぶのが真宗学である」という真宗学の視点がいかに大切なものであるかについて少しだけ頷くことができたように思う。

 こうした点から改めて、私たちが学んできた東アジアの仏教や、日本の仏教などを振り返ってみると、再点検しなければならない点が多いように思う。例えば、私は最近ベトナムの人たちと交流する機会が多いが、ベトナムは日本よりも相当早く仏教に触れたようである。その上でベトナムと日本の仏教受容の歴史を比べてみると全く異なっている。日本に土着した仏教は一体どのような理由でその後の日本の仏教となり、ベトナムとは全く違った成果を得たのか。こうした点に無知なままでは日本の仏教を真に理解したことにならないし、東アジアの仏教を語ることもできないであろう。


変わった!
大谷大学教授
(真宗学・真宗保育/幼児教育学)
 
冨岡 量秀

 卒業生が仕事帰りや、世間では祝日ですが大学は授業実施日などによく遊びに来てくれます。その時に、最近よく聞く言葉は、「変わった!」という驚きの声です。慶聞館ができたことは大きいと思いますが、学食も変わったし、マークも変わったりしました。色々目に見えて「変わった!」と感じているでしょう。

 また学部編成が大きく変わったのも卒業生には大きな変化だと思います。文学部、社会学部、教育学部という3学部体制になったことは、本当に大きな「変わった!」と感じることだと思います。

 卒業生と出会い、話しをしていて感じることは、みんなにとって大学のキャンパスは、とても大切な場所だったんだということです。「変わった!」大学に出会った時、驚きと同時にちょっと淋しい気持ちになったりしています。しかしこの「変わった!」は大谷大学が、より大谷大学らしくあるために「変わった!」んです。「らしくある」ということは変わらないということではありません。それは私たち自身も同じです。「自分らしくある」ために変わり続けていくんだと思います。

 みなさんも大学に遊びに来て、素敵に「変わった!」姿を見せてくださいね。ちなみに私は髪の毛が白く、お腹がポッコリとしてきた「変わった!」姿をお見せできます♪

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