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大谷大学と私

No.145(2020年)

「大谷大学での学究生活と教育」
名誉教授  
築山 修道

 私が大谷大学に入学したのは1963(昭和38)年。外国の文化や言葉に強い関心をもっていた私にとって本学は第一志望校ではなかった。しかし受験に失敗し、また真宗寺院に生まれ、京都の大学で学びたいという熱い思いをもっていたので、自然と大谷大学に入学することになった。当時の谷大は授業料も安く、少人数制のクラスやゼミが多く、また何よりも自由で学究的雰囲気の濃厚な学舎であった。

 2年生までは勉学よりも、京都での学生生活を楽しんだ。3年生になって、専攻を決めなければならぬこととなり、英文学を学ぶことにした。その時英文学を選択したことはその後の私の大谷大学での学究生活と教育に深い関わりをもつことになる。英文学科での2年間は自分なりに勉学に励み、卒業論文には英国の小説家E・M・フォースターの作品『ハーズ・エンド』を取り上げ、「英国における人間関係と大地性」をテーマに論考した。そして自分なりに勉学の成果を得ることができ、本学での4年間の学業生活は全体としてほぼ満足しうるものであった。

 しかし同時に、何か物足りなさというか、心の奥底に満たされない空虚感のようなものがあった。それは研究文献、教員スタッフなどの学問的環境の不備に起因するものではなく、自己自身の内面的問題であることに気付き、かかる課題に応えうるのは哲学か宗教であると思い至った。その時幸運にも、当時本学大学院の教授であった西谷啓治先生の世界的名著『宗教とは何か』をたまたま読む機会に恵まれ、ここにこそまさしく自分の求めるものがあると確信し、躊躇なく西谷先生の許で宗教哲学を学ぶべく大学院に進学することを決心した。

 本学での西谷先生とのこのような値遇は、以後の私の学究活動、教育、学友との交流関係等人生の全体を貫く決定的に重要な意義をもち且つ原動力となった。その後私は、ドイツ語圏の近世宗教哲学、現代の実在主義思想、西田哲学、鈴木大拙の宗教思想の研究を主に進めていくのであるが、その間20余年に亙って学内外で先生から賜った学恩は測り知れない。私が西谷先生から身をもって学び得た最大の事は、「哲学すること」、換言すれば、何処までも主体的・自覚的「己事究明」である。それは個々の哲学的知識ではなく、哲学的思惟そのものの在り方である。

 また、宗教や仏教研究の学場としての本学の意義、清沢満之、鈴木大拙、曽我量深、金子大栄、山口益等大家の先生方のお仕事の本当の意義を世界的視野から自分なりに次第に了解し得るようになったのも西谷先生の薫陶を受けたがゆえである。

 最後に、教育について一言触れておきたい。長年私は一般教育の英語の授業を担当してきたが、1994年―95年の1年間、英国のケンブリッジ大学(客員教授として)とノッチンガム大学(学生として)で在外研究の機会を得た。そして帰国後、国際文化学科のゼミを担当することになり、その時の貴重な経験が大いに役立ち、確信をもって教えることができるようになった。本学の学生諸君には是非一度何かのかたちで在外生活・留学の経験をして欲しい。得るものが大きいからである。

略 歴 紹 介

築山 修道(つきやま しゅうどう) 名誉教授

1943年12月 愛知県に生まれる
1967年3月 大谷大学文学部卒業(英文学)
1970年3月 大谷大学大学院修士課程修了(哲学)
1973年3月 大谷大学大学院博士課程満期退学(哲学)
1986年4月 大谷大学講師
1993年4月 大谷大学助教授
1994年4月~1995年3月
      大谷大学在外研究員(英国ケンブリッジ大学とノッチンガム大学)
1999年4月 大谷大学教授
2004年4月~2006年3月
      大谷大学短期大学部長
2009年3月 定年退職
2009年4月 大谷大学名誉教授

同窓会役員
1998年5月〜2000年5月 大谷大学同窓会常務理事
2002年5月〜2004年4月 大谷大学同窓会常務理事
2004年4月〜2010年3月 大谷大学同窓会顧問

【専      門】 宗教哲学
【著書・編集・論文】
『西谷啓治著作集』第24巻~26巻大谷大学講義(3巻編集、創文社)
『キェルケゴールを読む人のために』(共著、世界思想社)
Kierkegaard and Japanese Thought(共著、Pargrave Macmillan)
「西田の親鸞・真宗観における哲学と宗教」(『西田哲学会年報』第5号)
「鈴木大拙の霊性的自覚の一考察」(『宗教研究』365号) など

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