輝く☆同窓生
No.148(2023年)
(1992年度・文学部史学科卒)
〈高島市教育委員会〉
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古屋 昌美 さん
(1993年度・短期大学部仏教科卒)
〈星空案内人®〉
無盡燈編集委員 西本 祐攝(大谷大学准教授)
対談日 2023年3月
卒業後も「学び、続ける」ことが新たな出会いに繋がる
共通の興味を持った人が自然に集まる貴重な学生時代を振り返って
─ 今回の「輝く☆同窓生」では、大谷大学が発信している「問い、続ける」ということ、また、2023年度「大谷大学公開講演会」の共通テーマが「学び、続ける」であることから、在学中だけではなく、卒業後も仕事や生活の中で学び続けておられるお二人の同窓生の方をお招きし、お話を伺いたいと思います。
山本 晃子さん
山本 現在、滋賀県高島市役所の文化財保護を担当する部署で仕事をしています。採用は高島市が合併する前の今津町で町史編さん係に配属され、そこで『今津町史』を編纂するための資料集めや民俗調査をしていました。地域にはたくさんの江戸時代の古文書が残っており、学生時代に「古文書講読」を受講し古文書の勉強をしていたことから、その調査や解読を担当させていただきました。
平成17年(2005年)に高島市が誕生した後は、教育委員会内にある文化財課に配属されました。
行政が行う文化財保護の仕事というと、よく知られるのが埋蔵文化財の発掘調査ですが、私は考古学ではなくて歴史学を専攻していたので、文化財課の中には埋蔵文化財担当の職員もいますが、私はそれ以外の土の上に出ている文化財や歴史を保存して伝えていくという仕事をしています。
─ 歴史、文化財の保存というと大変難しそうですね。
古文書クラブとの整理作業の様子
山本 高島市内には多くの文化財がありますが、近年は、高齢化により文化財を守る担い手が不足したり、自然災害によって壊れたりするといった、文化財保護に対する課題が次々と発生しています。そのため、まずは市内の文化財の現況を調査し、それを守る手段を考えるのが仕事になります。
でも行政だけでは守れないことが多いので、市民の皆さんにたくさん助けていただいています。例えば、古いお宅の調査などで箱一杯の古文書が発見されますと、市内で活動されている「古文書クラブ」にご協力をお願いします。「古文書クラブ」には、初めて古文書を見る方も参加されていて、始めは私も一緒に読み方を勉強するところから始めたのですが、皆さん2、3年もすると私よりもずっと読めるようになられて、今ではもう頼りっぱなしです。
─ 古屋さんは、現在どういう活動をされていますでしょうか。
古屋 昌美さん
古屋 京都・大阪と鳥取を中心に複数の天文施設で仕事をしております。自己紹介でよく使うのが「流しの天文屋」です(笑)。大学を出た後は、和歌山県の日高川町(旧・川辺町)で開設準備中だった公開天文台に採用され研究員として20年ほど勤めました。望遠鏡を使った天体観察会や観測、プラネタリウム解説や番組制作、学校向けの授業や天文イベント企画が主な仕事でしたね。
─ なぜ天文関係のお仕事をされようと思われたのでしょうか。
古屋 地元の枚方市と隣接する交野市に天野川という川がありまして、川を中心に七夕伝説にまつわる史跡があります。もともと天文には関心があり、小学校時代の恩師の紹介で地元の天文台でアルバイトをしたり、大阪市の科学館の会報に七夕伝説と史跡について執筆させていただく機会もあり、学生の頃から天文にかかわる環境に恵まれていた部分があると思います。
専門としている「天文民俗」は聞きなれない言葉かと思いますが七夕やお月見、日本古来の星の名前である「和名」を中心に調査や執筆をしています。最近は北海道のアイヌ民族に伝わる星の名や伝承の調査で2、3 ヵ月に1度北海道を訪れています。
─ ありがとうございました。山本さんは、滋賀の成安造形大学附属近江学研究所の客員研究員をされています。そこで「安曇川をめぐる文化財―その立地と成り立ち―」という論文で「シコブチ神」について報告されていますが、これはどういうお仕事だったのでしょうか。
山本 シコブチ神とは、高島市内を流れる安曇川の水系周辺だけにおられる神様です。安曇川の水の流れを使って仕事をしている人が信仰した神様だと考えられ、地域固有の大変貴重な歴史事象だといえます。
「シコブチ神」の調査では、地域住民で組織される「安曇川流域文化遺産活用推進協議会」の皆さんが、神社にどういういわれがあるのか、その神様を信仰したのはどんな人なのか等の聞き取りをされ、その成果を地図にまとめられました。私はその調査をするための補助金を紹介することが主な役割でした。
─ 先ほど古文書クラブのお話をされましたが、実地でそういうふうに学んでいると読めるようになっていくものなのですか。
山本 よく読めるようになられます。ただ私などは記憶力がないので2週間ほど古文書に接しないとすぐに忘れてしまうのです(笑)。もともと大学の博物館学課程で「古文書講読」という必修授業を2年(笑)受けて、ようやくちょっとわかるかなというくらいでそのまま仕事に就いたのです。仕事に就くと実地でどんどん出てくるので、必要に迫られて読むというような感じでした。
─ 古屋さんは、2021年5月10日に公開された「枚方市子ども夢基金活用事業」というHIRAKATAプラネタリウムミュージアムの動画で、肉眼では見えないような1000万個の星について解説をされていますね。
古屋 枚方市とは何度かお仕事をさせていただいていまして、HIRAKATAプラネタリウムミュージアムでは、七夕伝説と枚方の七夕史跡を紹介する動画コンテンツの監修をしました。また、持ち運び可能なモバイルプラネタリウムを使用した七夕イベントでの解説もしています。
─ 枚方市が七夕伝説のゆかりの地だという、その辺りのこと を少しお聞きしたいのですが。
愛媛県の天文台でのプラネタリウム解説
古屋 枚方、交野あたりは、古代「交野ケ原」と呼ばれ奈良と京都のちょうど中間という地点であり、古くから天皇や皇族の領地として重要視されてきました。そこに「天野川」という川があるのですが、実は七夕信仰が広まる前から「あまのがわ」という名前でして、調べていくと、甘い野の川と書いて「甘野川」でした。流域には「天田」や「星田」といった地名もありますが、これも元は「甘田」「干田」でした。
耕作地の水利、美味しいものを「甘い」と表現する古代の概念からの土地の名前だったり、川の名前だったりしたのです。皇族や有力な渡来氏族と繋がりのある土地だったので、平安貴族たちが訪れる場所でもありました。『伊勢物語』の在原業平が惟喬親王と狩りに訪れた際に滞在して歌を詠んだ「渚の院」の史跡も当地にあります。
また、平安遷都をおこなった桓武天皇が、中国の皇帝に倣って星を祀ったという郊祀壇という遺跡も残されています。たまたま「アマノガワ」と呼ばれた川があり、渡来系氏族の持ちこんだ機織りや製鉄といった最新の文化技術と土地の歴史とが結びついて、七夕伝説が生まれたようです…こじつけに近いものもありますが(笑)。
七夕伝説はアジアの諸地域に伝わっていますが、各国の星や月・太陽にまつわる伝承をまとめるプロジェクトが2009年に立ち上がりました。この年は「世界天文年」という年でして、世界各国で催しがあり、日本では東京の国立天文台が中心になって幾つかのプロジェクトが立ち上がりました。
そのひとつとして、アジアの星の伝承を書籍としてそれぞれの国の言語で出版することとなり、その際、日本の七夕に関する話をまとめてほしいという声をかけていただき、書籍『アジアの星物語』の出版に関わることができました。日本が先駆けて出版し、英語版の書籍もありまして、電子版で近々公開予定です。
─ 和歌山県の天文台でお勤めのころ、和歌山大学の宇宙教育 研究ネットワークで客員准教授もされていたそうですね。
古屋 もともと和歌山という土地が天文に関する土壌のある地域でして、星の伝承や日本の天文学の発展を担った研究者ゆかりの土地も多く、今のうちにまとめようとプロジェクトを立ち上げ、県の補助金を得て冊子『和歌山星空物語』を発行して県内各地に配付しました。
山本 和歌山が天文学の先進地だとは知りませんでした。
古屋 和歌山には高野山があり、密教には星曼荼羅や星供といった星々の巡りから運命を読み取るといった占星術的なものがあります。
山本 密教では星とかが結構出てきますね。
古屋 高野山と和歌山大学とが星をテーマに連携した講演も過去に開催されています。また、仏教の中には北極星や北斗七星を神格化した妙見信仰があり、関西ですと大阪の箕面、東日本ですと千葉県を中心に妙見信仰が広まっています。
実は、私が谷大に入学したのは仏教史を学びたかったからです。昨今では「歴女」とか「仏女」とか言われていますが、まさにその走りみたいな感じで高校時代は一人で寺巡りする地味系でした(笑)。
山本 私も完全に同じです。陰陽道とかを調べることはないのですか。
古屋 陰陽道も関係がありますね。今、日本各地の星にまつわる和名や史跡、伝承、少し砕けたところでお菓子やお酒などをまとめた本を作っています。この夏頃に出版できるよう進められており、その中で京都をはじめとした関西の史跡紹介を担当させてもらっています。陰陽道の紹介もありますが、専門家の方がご覧になったら怒られるレベルかもしれません(笑)。
─ その本も楽しみですね。次に、学生時代のご様子について 伺いたいと思います。
同窓会の新入会員歓迎祝賀会でも司会を担当
古屋 学生時代は、放送局(OBS)のアナウンス部に所属していました。その時の経験は、プラネタリウムの解説など人前で話す時にたいへん役立ちましたし、学内のイベントや学園祭での企画・運営といった、今の仕事にも活かせる経験をさせてもらいました。もちろん大学での勉学についても記憶にはあるのですが、サークルがすごく楽しかったという記憶の方が強いですね(笑)。
─ いつ頃から星に興味を持ったのですか。
古屋 星に関する記憶で一番古いのが3歳の時です。たまたま見た流星がきっかけでした。普通、皆さんがイメージする流星の色は白や黄色っぽい色だと思うのですが、そのとき見たものは緑色でした。まわりの大人は信じてくれなかったのですが、成長してから調べると緑色の流星というのが全く珍しくないことがわかったのです。成長してから流星のメカニズムを学んでみれば、緑色は珍しくありませんでした。一般のイメージだと緑に輝く流星は「ないだろう」とされるかもしれませんが、学ぶことで自分が見たものが幻ではなかったと確信できたことが大きな経験となりました。
─ まさに今回のテーマ「学び、続ける」ということの具体的な体験談をお聞かせいただいたと思います。
山本さんの学生時代はどのようなご様子でしたでしょうか。
学祭では接待部長(写真左)、事務局次長を歴任
山本 私も同じような経緯かもしれません。子どものころから歴史が好きだったので大学を選ぶ条件は、史学科があることと博物館学芸員の資格が取れることでした。高校では歴史研究部というのに入っていたのですが、そこで先輩に学芸員という仕事があると教えてもらって、史学科に行ったらずっと歴史が仕事になるのだと、そのときは簡単に思っていました(笑)。
そのため授業はわりとまじめに出たつもりですが、実は大学時代の記憶の大半は、学園祭実行委員会の思い出です。私は第1学年から第3学年までの3年間学園祭実行委員会に入っていました。そこではたくさんの人と一緒に、学園祭成功という目標の達成のために走り続けていましたので、ここで共に走った仲間は今も大切な存在です。
─ 学園祭での経験などは、先ほどの古文書クラブを作ったと きにも活かされたのでしょうか。
山本 本当に役に立っていると思います。仲間を作ることや一緒に一つの目標を目指すことの楽しさを学園祭で得たことは本当に大きいです。
古文書といえば、今も仕事の上で欠かせない古文書解読用の『くずし字解読辞典』は、学生の時に草野顕之先生が「これいいよ」と言われた辞典で、ぼろぼろになって二代目ですが、同じものを使っています。
古屋 私も持っています!
山本 授業の時に草野先生が「これは書き込みをして自分で使いやすいようにしていく辞典です」と言われて。だから書き込みがあるからぼろぼろの一代目も捨てられなくて、表紙が外れたのですが今も机の中に入っています。
─ わかります。それはなかなか変えられないですよね。
最後に今の学生に向けて、これが大事だよということなどお聞かせいただけますでしょうか。
古屋 あまりお手本にならない先輩ですが、谷大は他の大学と何が違うかというと、やはり仏教を学べることだと思います。学生の頃は「これは必要なのだろうか」と思うこともあると思います。しかし、私自身まったく違う分野の仕事に就きましたが、仏教を学んでよかったことはありましたね。直後ではなく5年後だったり10年後だったりですが…。
たとえば今くずし字のお話がありましたが、天文でも分野によってはくずし字を読む機会があります。
─ くわしくお聞かせいただけますか。
古屋 以前こちらの博物館で伊能忠敬の日本地図の展示があり、和歌山から見学に参りました。当時の地図作成における測量の基本は天体観測です。江戸時代の享保年間の頃から将軍吉宗の命を受けて海外の科学専門書が長崎を通じて入ってきており、当時の幕府天文方では西洋の最新の専門書で学んだり、観測を行い記録していたのでその古文書資料を読むこともあります。
仏教にも仏教天文学と呼ばれている須弥山を中心にした宇宙観があり、須弥山儀という宇宙観を立体模型にしたものがあります。仏教には仏教なりの宇宙観があって、真宗の僧侶を中心に宇宙を理解しようとしたり、一般に広めようとしたりといった、歴史の中での立ち位置がありました。宗教と科学は相容れないものと思われがちですが、キリスト教で論じられた天動説、地動説を見るように無関係ではありません。
大学時代は学ばなければいけない事もあって「学ぶ必要はあるのか?」と思ったりしますが、将来どこかで再開することで、その学びが自分にとって大事なものとなるかもしれません。
学生として大手をふって学ぶことだけに使える期間を大切にしてもらいたいです。
─ ありがとうございます。山本さんからもお願いいたします。
山本 古屋さんと全く同感なのですが、私は大学時代、楽しかった思い出しかないので本当にありがたかったなと思うことばかりです。大学で学んだことが仕事にも直結をしていますし、その他では、仕事でお寺の方にお会いすることが多いのですが、谷大出身ということで親しくしていただくこともあります。
あと谷大で良かったと思うのは、大学の規模がわりと小さいので、人と接する機会や友だちを得る機会が多かったことです。気軽に友だち作りができるのもおそらく大学生のときが最後の機会になります。同じ年代で共通の興味を持った人が自然に身近に集まっている貴重な学生時代をぜひ大事にしていただければと思います。
─ お二方から本当に大事なメッセージをいただいたかと思います。
最後にお互いにお尋ねになってみたいことはありますか。
古屋 たとえば七夕の風習もお月見もですが、地域差というのがあるのですけれども、滋賀の場合、近江商人の存在は大きいのではないでしょうか。七夕の風習も北前船で北海道へと北上していったりということがあるのですが、そこには必ず近江商人が絡んでいたと思うのです。
山本 絡んでますね。高島市出身で、東北で成功した近江商人も多くおられます。
私は質問ではないです。いつか高島市でも星の話をお聞かせいただくことができるでしょうか。
古屋 私でよろしければ。月見でも七夕でも。滋賀も和名がたくさん残っているので、たとえば地域に特化した星のお話というのもできます。
山本 すごい。私の自宅周辺も街灯が少なく、星がとてもよく見えるんです。そんなところで古屋さんのお話を聞くことができればとても贅沢でしょうね。
古屋 はい。伺わせてもらいます。
─ 今も対談されている様子からは、新しく学び続けようというか、そういう探究心旺盛な姿勢がそのまま出ているなと思いました。
山本・古屋 そんなことないです(笑)。
─ ご自身では気づかれてないと思いますが、聞いているとそういう印象があります。自分が知りたいと思ったことや、本当に興味があることはどんどん調べたくなりますよね。
今日は、大谷大学同窓会の各支部で開催される公開講演会の今年度の共通テーマ「学び、続ける」ということを実践されておられるお二人のお話をお聞きできたかなと思います。同窓生にとってもそうですし、現在、大学で学んでいる学生にとってもお力をいただけるようなお話になったのではないかと思います。本日は、ありがとうございました。