無盡燈/尋源館
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現役教員からのお便り

No.149(2024年)

「カッパ」の問題
大谷大学教授 井上 尚実

  2003年に大谷大学真宗学科の教員となる御縁をいただいて、あっという間に20年以上が過ぎてしまいました。私はもともと仏教学の専攻で、1989年から2年間、小川一乗先生の修士ゼミで大乗仏教の根本思想をもとに浄土教を学び、1991年3月に修士課程を修了して大谷派教師になりました。その後、本山から奨学金をいただいてカリフォルニア大学サンタバーバラ校大学院に進み、英語圏で発展していた宗教学(Religious Studies)を学ぶ貴重な機会を得ました。1999年に帰国し、懐かしい聞思館1階の東方仏教徒協会(通称EBS)事務所で、英文仏教雑誌The Eastern Buddhistの編集の仕事に携わることになりました。当時、一郷正道先生がEBSの事務局長をされており、EBSで働きながら非常勤で短期大学部仏教科の英語の授業も担当させていただき、やがて真宗学科の専任講師に採用していただくという御縁にも恵まれたのです。
 私は大谷派寺院の出身で親鸞聖人の教えを学んでおりましたが、真宗学専攻ではなかったため、教員になって最初の数年間は学生さん達と一緒に真宗学の基礎を一から習う必要がありました。毎日の授業の準備にとても苦労したのを覚えております。『親鸞教学』に研究論文を発表するのも大仕事でした。テーマの設定から書き方にいたるまで、仏教学や宗教学とは異なる長い学問の伝統があるので、真宗学の博士課程を出ていない自分には無理なのではないかと途方に暮れることもありました。  少しずつ道が開けてきたと感じたのは2010年頃だったと思います。前年に大谷大学で開かれた日本印度学仏教学会大会の特別部会「親鸞研究の可能性」における発表がきっかけでした。釈尊の時代の仏教と親鸞聖人の浄土真宗は、根本において通底しており、文脈を重視した聖教の解釈によってそれを示すことができることに気づいたのです。最古の経集『スッタニパータ』の中に、親鸞の「信の仏教」・「ただ念仏」の原型が見出されるのです。自力の「はからい」を意味する「カッパ」(パーリ語 kappa、サンスクリット語kalpa)という言葉に、重要な解釈の鍵があります。釈尊は「カッパ」を捨てる道を説かれたのであり、親鸞聖人はその道を「現生正定聚」「自然法爾」という念仏者の生き方として示されたのです。いかなる時代においても、人間の苦悩の根本には「カッパ」の問題があるのだと思います。 それを少しでも明らかにできるように学びを続けています。


今を生きる力
大谷大学教授 宮﨑 健司

  大学の門をたたいてから45年、教員としても30年がすぎた今、時の流れの早さを実感しています。奉職した頃、短期大学部国文科が300名定員の文化学科に改組され、文学部にも180名定員の国際文化学科が設置されるなど、大学は大きく変わりつつあり、一時学生数も5000名規模に達しました。当初、文化学科クラス30名前後と史学科(現歴史学科)古代史ゼミ20名前後を担当してたいへん苦労しましたが、とりわけ文化学科の卒業研究は、地域・時代・分野など多岐にわたり、その指導に四苦八苦したのを覚えています。その一方で多様な問題に少しは気配りができるようになり、研究関心もひろがったように思います。いいかえれば、学生諸君に教員・研究者として育ててもらったようなものかと思いますし、今日もゼミで学ぶことは数多くあります。
 ところで今さらながら時の流れの早さを感じるのは、これまで重ねた馬齢に気づかず、毎年、同年代の学生諸君と一緒に学んできたためなのでしょう。また授業を通して伝えたいことが一貫していたからかもしれません。歴史学では根拠となる史資料を大切にします。史資料がどの程度信用できるのか、どうすれば信用しうるのかなど徹底的に吟味し、そこから得られた史実を多角的な視点で分析し歴史を叙述します。学生諸君の4年間の学びでも、史資料を見極め、分析するスキルや視点を身に付け、その集大成として卒業論文を制作するわけですが、そのスキルや視点が「今を生きる力」として有効であることを感じ取って巣立ってほしいと願っています。現在はさまざまな情報が溢れかえっています。そこには偽の情報も多く含まれます。近年は特にAI技術の進展によりさまざまな利点がもたらされる一方、悪意に満ちた偽の情報が巧妙に紛れ込んでいるかと思います。このような時代を生きて行くには何が真実かを見極めることがもっとも大切なことだと考えます。残りわずかな教員生活の中で歴史学の学びを通して少しでも学生諸君にその思いが伝わればと願いつつ教壇に立っています。

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