無盡燈/尋源館
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No.147(2022/6) 「上を向いて」(部分)

No.147

 自分が正しいと思っても間違うこともある。間違いを知れば直したらよいのである。何事も自分に置き換えて考える精神を持とう。殴られれば痛い。刺され、撃たれれば血が流れ死に至る。小さなことも大きなことも、よく考えて行動すべきである。現代のバーチャルの映画やゲームにはそれがないことが恐ろしい。
 私は前を向いて生きてきたように思う。うしろ、過去の苦悩と失敗と悲泣、そして耽溺があり今が在る。過去を消し去ることは出来ないが、それを引きずるのではなく、今を知り大切に生きることが仏の教えである。耐え忍び、世俗のことがらに触れても、人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ安穏であることが幸せであると説かれている。
 生きることもなかなか難しい。世界は独裁者のために戦争を起こしてきた。仏教者は他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれと願う。なんぴとも他人を欺いてはならない。たとえどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。そして仏教徒としての基本は、自ら殺してはならない。また他人をして殺さしめてはならない。また他の人々が殺害するのを容認してはならない。世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも、全ての生きものに対する暴力を抑えて——。
 じっとしているのではない。暴力に対して否定の意志をはっきりと表現すべきである。新型コロナウイルスに関しては気をつけて生活するしかなく、その結果は人心の及ぶところではない。我が身に置き換えて戦争を起こさないように願い、意志を示そう。
 これからは前を向くのではなく、向上する心を求めて上を向いて生きていこうと思うこの頃である。同窓生もまた逝く人も多いが、それは世の常である。新しい同窓生も増えている。この仏教精神の灯を絶やしてはならないと切に思っている。

畠中光享(1970年文学部卒)
日本画家・インド美術研究者


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